旅人の街、ジャランジャクサ | Young Age Vol.30
1998年
日本の初出場となったフランスW杯
中田のプレーは海外のクラブに認められ、イタリアのセリエA・ペルージャへ移籍
2001年
中田は東南アジアのヒーローで、インドネシアを旅する日本人は誰もが中田と呼ばれた。
そんな時代
俺はインドネシアの首都ジャカルタの片隅にある安宿街、ジャラン・ジャクサに居た。
ジャラン・ジャクサ
2001年7月23日
この街にクーデターの影響は薄そうだ。
何事も無かったかのごとく子供達が遊び回る。
子供達が笑っている。
人懐っこいガキ共がナカター!ナカター!と言って俺に群がってくる。
別に俺にたかりに来るわけじゃない。
ただ人懐っこいのだ。
俺は安心した。
そして俺は嬉しかった。
子供たちが笑って遊んでいる所は悪い場所じゃないだろう。
そう思った。
バタムアイランドを出て以来船に乗り、そしてこの街に辿り着きどんどん環境が良くなってくる。
それに合わせ俺の気分も良くなってきた。
そこら辺のガキ共と遊んでいると年長者の18歳位の奴がライターを出せと言う。
100円ライターを出すと奴は素早く分解してガスを満タンに補充してくれた。
俺たちはすぐに仲良くなった。
俺が「ちょっとタバコ買ってくるは」とか言うと「俺、マルボロ~!!」等とかみんな好き勝手なことを抜かしやがる。
「シャラップ!!」等と言いつつも1箱だけ買ってきてみんなで吸えよ
などとちょい兄貴ぶる俺。
スケボーやってるヘタクソなガキがいた。
一生懸命小さな障害物を飛ぼうとしている。
「ヘイ、キッズちょっと貸してみな」気分も良くなってきた俺は完全に調子に乗っていた。
「良く見とけよ!!」
ガガーっと滑って「ウリャ」っと華麗に飛んでべチャッっと無様に落ちた。
「うがぁっ」 「い、いて~」
ガキ共は笑ってる。(こ、こんなはずじゃねー!!)
「もう一回貸せ!!」ちょっと意地になってかっこよく決まるまでやった。
昔は余裕だったのに・・・
もう昔の俺じゃね~
大分元気を取り戻した俺はインドネシアの屋台にも挑戦した。
ミーゴレン(焼きそばみたいなやつ)を良く食った。
その屋台は何故か毎回値段が違う。
大体ミネラルウォータも飲んで40円~60円位。
ま、ぼらててるのかも知れないけど十円位だし良く分らないからいいや。
値段は別にいいが衛生面だけはどうしても気になった。
まず、皿を洗う水を見た瞬間、俺は目を疑った。
皿を洗うバケツに入っている水は色で表すなら黒
その白い紙に字がかけそうな色の水が入ったバケツから取り出される
皿を拭くタオルの色も黒時々グレー
もちろん元は白だっと思える。
例えるならば工場で使うタオルとバケツ。
衛星管理責任者の資格をもつこの俺の目はごまかせねー!!
この店は即刻、営業停止だろう。
などと思いながらもすでに何度もその店で食っちゃった俺。
気合、気合、皆食ってるから見なかったことにして食っちゃおう。
実際何度か食っちゃった後に気がついたからもうしょうがねーみたいな開き直りで考えないことにした。
旅先ではアバウトにいかないと身が持たない。
なぜなら奴等のアバウト振りときたらもうアバウト過ぎてアバウトが普通だから全てがアバウト。
ついでに言えば俺の腹もアバウトになっているからそれを食っても下痢一つしなかった。
久々に楽しかった。
インドネシアの本土は人もいい。
特にこのジャランジャクサは旅人の街だから便利だし必要なものはある。
日本人は見かけなかったけど旅行者が沢山いたので凄く安心した。
そう言えば俺、最近、日本語話してね~な。
いつから話してないだろう?
Macyと別れて以来まともに日本語話していない。
今日はどうする?
クラブでも行ってみる?
あ、このTシャツカッコよくね?
あれ美味そうだな
おい!あれ見てみろよ!すげーぜ
ごく普通の会話、自由に操れる言葉、同じ文化、日本での当り前が海外では妙に嬉しい。
あれからまだ10日もたっていないのに遠い昔の事のように感じる。
あとがき
ジャカルタは思ったよりもクーデターの影響がなかった。
バタムアイランドは不穏な空気に満ちていたけれどもジャカルタは活気があって楽しい街だった。
どこに行ってもガキどもがナカター!ナカター!と言って群がってくる。
最初はなんの事かわからなかったけれどもあまりにもみんなに中田と呼ばれるので、そのうち、もう中田でいいやと思うようになった。
宿も安いし、飯も美味かった。
衛生面はかなり気になったが東南アジアの屋台飯なんて何処もそんなもんだろう。
バタムアイランドではまだ体調が悪かったからマックとケンタしか食わなかったけれどもインドネシアの屋台飯はうまい。
なかでもミーゴレン(焼きそば)とナシゴレン(チャーハン)は外しのない鉄板料理で日本人の口に合う。
それもそのはず、当時、インドネシアでは味の素が大人気で、食堂の看板にデカデカとAJINOMOTOと書かれている。
そんななか、2000年に味の素事件が起こる。
「味の素」の原料にイスラームの食品禁忌とされている豚肉が使用されているにも関わらずハラール(イスラム法上で食べることが許されている食材や料理)表示をしていたため現地の社長を含む6人が逮捕されたのだ。実のところ、豚肉は使用されておらず、発酵菌の栄養源を作る過程で触媒として豚の酵素を使用していたそうだ。
インドネシア人の八割以上がイスラム教徒なのでこの事件は大変な騒ぎとなった。
当時の俺はハラールがなんなのかもよくわかっておらず、ニュースを見ても全くスルーしていた。
しかし、2001年に実際にインドネシアに来て、味の素がどれだけこの国で使われており、どれだけ有名かがわかるとなるほど、大事件だったのだなと言う事がよくわかった。
参考サイト
ハラールとハラーム-5・インドネシアでの味の素事件
http://takumi296.hatenablog.com/entry/2014/06/10/033041
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