奈良の世界遺産『古都奈良の文化財』と『法隆寺地域の仏教建造物』
奈良にある世界遺産
古都奈良に登録されている世界遺産は『法隆寺地域の仏教建造物』を1件と数えると『古都奈良の文化財』8件とあわせて合計9件となる。(登録された世界遺産としては2件)
一番の見所は、日本で一番最初に文化遺産として登録された『法隆寺地域の仏教建造物』で現存する世界最古の木造建築物群となっている。(日本の全建造物の中でも、もっとも価値が高いと言われている。)
『古都奈良の文化財』は『東大寺(正倉院を含む)、興福寺、春日大社、元興寺、薬師寺、唐招提寺、平城宮跡、春日山原始林』の8件を合わせて、全体で奈良時代の歴史と文化を物語っていると評価されて世界遺産に登録されている。
法隆寺地域の仏教建造物
1993年、世界文化遺産に登録
法隆寺、法起寺
7世紀に建設された法隆寺、法起寺などの仏教寺院は現存する世界最古の木造建築で主要建物である金堂、五重塔、中門、回廊は中国や朝鮮にも残存しない初期の仏教建築様式で作られている。法隆寺の建造物47棟と法起寺の三重塔を加えた48棟が世界遺産に登録されている。法起寺には706年に完成した三重塔が残っている。
今回の京都、奈良の旅では時間が無く、急ぎ足でまわる事になってしまったが本来であれば『法隆寺地域の仏教建造物』だけで丸一日見て回れるだけの世界最古の木造建築物群がある。また、天候が悪く小雨が降っていた為に写真もあまり奇麗に撮れなかったので次回、奈良に来る際には丸一日掛けてゆっくりと見学したいと思う。
法隆寺にある日本最古の五重塔や中門にある日本最古の金剛力士像、法起寺にある日本最古の三重塔など現存する日本最古の建物が沢山あり見所は尽きない。流石は世界最古の木造建築物群と言うだけの事はある。
所在地 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
アクセスはJR法隆寺駅より徒歩約20分、またはバスで「法隆寺門前」下車。
拝観時間は午前8時~午後5時(11/4~2/21は午後4時半まで)
拝観料は一般で1000円
法隆寺の記事
世界最古の木造建築、法隆寺、法起寺 | 奈良の世界遺産『法隆寺地域の仏教建造物』
古都奈良の文化財
1998年、世界文化遺産に登録
古都奈良の文化財は710年から74年間、日本の都、平城京として栄えた歴史的遺構となっている。平城京は元明天皇によって唐の長安をモデルに造営され道が碁盤の目に配置された計画都市で当時の推定人口は10万にもいたそうだ。以下に書く8件が世界遺産に登録されている。
古都奈良の文化財の拝観ルートとしてはやはり近鉄奈良駅から近い、興福寺、元興寺、春日大社、東大寺で一日、平城宮跡、薬師寺、唐招提寺で一日、春日原始林のハイキングで一日と出来れば3日かけてまわるのが理想。
8月2日土曜日の早朝
眠たい目をこすり、体に鞭を打って6時47分東京発-京都行きの新幹線に乗り京都を目指す。9時頃、京都駅に着きそこから約1時間、近鉄奈良駅に着く。新幹線の旅はとても快適で流石に高いだけの事はある。
奈良では小雨が降っている、天気予報では午後から曇り。雨も降っている事だし一旦、ホテルのシャトルバスに乗って奈良ロイヤルホテルに行き荷物を置いて再び近鉄奈良に戻る。
雨が止む事を祈りながら近鉄奈良駅の近くで昼食を食べる。昼食はお茶漬け定食でこれがなかなか旨い。13時頃まで粘ったが結局、小雨は降り続けている。諦めて近くのお土産物屋さんでビニール傘を購入し世界遺産ハントの旅に出る。
まずは近鉄奈良駅より一番近い興福寺を目指す。
興福寺(こうふくじ)
興福寺の起源は藤原鎌足(ふじわらかまたり)の私邸内に建てられた山階寺(やましなでら)で710年の平城京還都にともなって藤原不比等(ふじわらふひと)が現在の場所に移し寺の名前を興福寺と改めた。東金堂、五重塔、北円堂、三重塔が国宝指定されている。また、南円堂、大湯屋は重要文化財に指定されている。興福寺の五重塔や東金堂は貴族仏教を背景としている為、繊細で優美な印象だそうだ。
国宝である北円堂と三重塔は裏側の目立たない場所にあるので見逃さないようにしたい。特に北円堂は現在、東福寺にある建物の中で一番古い建物となっている。
所在地 奈良県奈良市 登大路町48
アクセスは近鉄奈良駅より徒歩約5分
興福寺国宝館
9:00~17:00(入館は16:45まで)年中無休
拝観料:おとな600円、学生500円、子供200円
東金堂
9:00~17:00(入堂は16:45まで)年中無休
拝観料:おとな300円、学生200円、子供100円
国宝館・東金堂連帯共通券(拝観料)
拝観料:おとな800円、学生600円、子供250円
外観を見て回る分には無料、俺たちは料金が高いから中には入らなかった。
京都奈良は見所が多過ぎて、全部に入っていたら拝観料だけでかなりの金額になってしまうのがキツいところ。
法相宗大本山 興福寺のホームページ
http://www.kohfukuji.com/
興福寺の五重塔や東金堂は貴族仏教を背景としている為、繊細で優美な印象らしい。残念ながら今回の旅で相当な数の五重塔を見たのだが『この五重塔は繊細だな』とか『ここが違うよね』などと言った違いを見極められるようにはなれなかった。事前にきちんと勉強をしていけば、寺や五重塔の違いを楽しむ事が出来たのかもしれない。世界遺産『日光の社寺』に行った際にも思ったのだが事前に遺産について勉強をすれば世界遺産は数倍楽しむ事が出来る。
興福寺ではさっそく鹿ちゃんがお出迎えをしてくれる。つぶらな瞳で子鹿が俺に鹿せんべいをねだる。俺は優しく鹿をなでながら『俺は鹿しゃぶが大好物なんだよ』と語りかける。
東京の御徒町駅にある『豚っく(ぶたっく)』で食べた鹿しゃぶは最高だった。
俺はおそらく中学生の頃に修学旅行で興福寺にも来た事があると思うのだが、全く記憶に無い。奈良には鹿が居たと言う事位しか憶えていない。当時はまだガキだったので日本の文化などに1ミリも興味を示す事無くただ、修学旅行は楽しかったと言う記憶しか無い。寺についても一通り勉強させられた気がしなくも無いが全くの無駄。興味の無い事は一切やらない主義だったので俺には教養と言うものが無い、その代わりに興味を示せば勝手に勉強するので今から奈良について勉強していこうと思う。
興福寺の起源は藤原鎌足(ふじわらかまたり)の私邸内に建てられた山階寺(やましなでら)で710年の平城京還都にともなって藤原不比等(ふじわらふひと)が現在の場所に移し寺の名前を興福寺と改めた。
五重塔 興福寺にある国宝
光明皇后によって730年に建立されその後、5回も焼失した。現在の五重塔は1426年に奈良時代からの伝統的な建築様式で再建されたもので高さは50.8mもあり日本で二番目に高い五重塔。興福寺では一番の見所の一つ。
東金堂(とうこんどう) 興福寺にある国宝
五重塔と建ち並び現存する興福寺の見所となっている国宝、東金堂。726年に聖武天皇により薬師三尊を安置する為に建てられたが6回も焼失。現在の東金堂は1415年に天平時代の建築様式で再建されたもの。
中には重要文化財の本尊、薬師如来座像をはじめとする四天王立像や十二神将立像など国宝の仏像が安置されている。(拝観料は300円)
中金堂
東金堂から南円堂へ行く途中、中金堂が再建中だった。どうやら平成30年に出来るようだ。
南円堂(なんえんどう) 興福寺にある重要文化財
五重塔と東金堂を見た後に南円堂へ向かった。南円堂は813年に作られ現在の建物は1789年に再建されたもの。
北円堂(ほくえんどう) 興福寺にある国宝
北円堂はうっかり見過ごしてしまいそうな場所にあるが1210年に再建された建物で現在、東福寺にある建物の中で一番古い建物で国宝でもある。
国宝館
本尊千手観音菩薩像(せんじゅかんのんぼさつ)、八部衆立像(はちぶしゅう)、薬師如来仏頭をはじめとする国宝や重要文化財。興福寺の歴史を伝える絵画、仏像、工芸品、典籍、文書、歴史資料、考古遺物などが収蔵されている。時間に余裕があれば見たかったのだが如何せん時間が無く、写真も撮れないだろうと思い残念ながら国宝館はパスする事にした。(拝観料は600円)
三重塔 興福寺にある国宝
北円堂より少し奥まったところにあるのでスルーしてしまう人も多いいらしいが三重塔も国宝に指定されている。
三重塔の近くにあったお地蔵様もなんだか雰囲気があってとても良い。
猿沢池
この池に映り込む五重塔はいにしえの都、奈良の象徴とまで言われる風情らしいがそんな事は全く知らずに亀が居るだとか鯉が居ると余計な事に気を取られ全く気がつかなかった。この池に五重塔を映して写真が撮れたなら素敵だったろうなと後から知り後悔する。奈良は素敵なところだったのでまた行けば良い。
猿沢池を見た後、興福寺を後にして世界遺産『元興寺』を目指す。
元興寺(がんごうじ)
元興寺は南都七大寺の1つに数えられる寺院で588年に蘇我馬子が飛鳥に法興寺(飛鳥寺)として建立した日本最古の本格的仏教寺院がその前身。法興寺は平城京遷都により飛鳥から移転し、元興寺となる(飛鳥の法興寺は飛鳥寺となり今もある)。極楽坊禅室、本堂には日本最古の瓦で飛鳥時代の瓦が使われている。本堂、禅室は国宝に指定されていて東門は重要文化財に指定されている。
元興寺の本堂と禅室に使われている瓦は、飛鳥時代に作られた日本で最初の瓦で今でも数千枚使われている。特に重なり合った丸瓦はとても有名だそうだ。
所在地 奈良県奈良市中院町11
アクセスは東福寺より徒歩で約10分
拝観時間 AM9:00~PM5:00(入門は、PM4:30まで)
拝観料:大人500円、中高生300円、小学生100円
元興寺公式サイト
http://www.gangoji.or.jp/
日本最古の瓦で有名な元興寺
元興寺は興福寺の猿沢池の南にある奈良町を抜けて徒歩で約10分。雨はあがり、江戸時代の雰囲気を残す奈良町を散歩しながら元興寺を目指す。思ったよりも時間がおしている。
東門 重要文化財
元興寺極楽坊の正門(東門)は重要文化財に指定されている。鎌倉時代風のりっぱな門で応永年間に東大寺西南院四脚門を移建したと記録されている。
元興寺の拝観料は400円。元興寺について書いてある簡単なパンフレットをもらう。パンフレットは後から世界遺産ハンターのブログを書く際に多いに役立つ。
元興寺極楽堂(極楽坊本堂・曼荼羅堂) 国宝
東門を抜けるとすぐに国宝である本堂がある。ここの本尊として智光曼荼羅が祀られており、小さいので本尊の裏面に智光曼荼羅の拡大写真が収められていて細部まで見る事が出来るようになっている。この絵が何とも言えぬ極楽浄土を表していて、かなり長い間見とれてしまった。残念ながら撮影禁止だった為に写真は撮れなかった。『智光曼荼羅』でGoogle検索すると画像は出てくるがイマイチ、パっとしない。
元興寺の敷地内には沢山の石仏がある。
禅室 元興寺にある国宝
禅室は鎌倉時代の建築様式で作られているが奈良時代以前の古材を多く再利用されている。屋根の瓦には日本最古の飛鳥時代の物も多数使われている。中世には春日影向堂とも呼ばれ、近世に客殿、近代には学校舎にも使われていたそうだ。
元興寺の敷地は小さいが、元々は先ほど興福寺より通ってきた奈良町全体が収まるくらいの敷地だったらしい。平安時代前期までは南都七大寺の中でも指導的な役割を果たしていたのだが平安時代後期に衰退していき敷地が狭くなったそうだ。
かえる石
元興寺の境内にあるこのガマガエルのような石は、古くから有名な奇石で蛙石と呼ばれている。「無事かえる」「福かえる」の願いを聞いてくれると言う。
一時、やんだと思った雨もまた降り出してきた。結局この日は降ったりやんだりを繰り返しながらずっと小雨に見舞われる事になる。さて、次は奈良の大仏で有名な『東大寺』だ。寺巡りは思いのほか時間が掛かる。
東大寺(正倉院を含む)(とうだいじ)
東大寺(とうだいじ)またの名を、金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいい「奈良の大仏」として有名な盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とする華厳宗大本山の寺院で開山(初代別当)は良弁。奈良時代(8世紀)に聖武天皇が建てさせた。
古都奈良の文化財の中では一番大きなお寺で一番の見所となっている。中でも世界最大級の木造建築とされる国宝の金堂・大仏殿(こんどう・だいぶつでん)は圧倒される大きさで内部には本尊であるあの有名な奈良の大仏(盧舎那仏)が安置されている。盧舎那仏は手塚治虫の漫画『火の鳥 鳳凰編』を読んでから見てみるとよりいっそう楽しめる。出来る事ならたっぷりと時間をかけてまわりたい。
所在地 奈良県奈良市雑司町406-1
華厳宗大本山 東大寺 公式ホームページ
http://www.todaiji.or.jp/
奈良の大仏で有名な東大寺(とうだいじ)
元興寺を後にして東大寺を目指すのだが歩くには少し遠いいし何より時間が惜しい。元興寺のすぐ近くにあったレンタルサイクルを借りて東大寺を目指す事にした。レンタルサイクル三時間で500円、結局四時間借りたので700円となった。この時、午後二時すぎ。
小雨を払いながら蒸した奈良の町を三段変則のママチャリで駆け抜ける。と言いたいところだが久しぶりに乗るママチャリは重く、なかなか思ったようには進まない。普段乗っている俺の愛車とはまるで違う、自転車と言うものはここまで性能の差が出るものなのかと思い知らされる。
南大門(なんだいもん) 国宝
東大寺の入り口である南大門に着くと入り口付近には鹿がたむろしており、鹿の糞尿の処理に困っているらしく「鹿に手持ちの菓子などを与えないで下さい。」との事。そのわりに鹿せんべいは売っている。
鹿さんはウンコマンなので歩きながら糞をまき散らす。それでも牛の半下痢状のぼてっとした糞に比べればかわいいもので鹿の糞は小さな粒だ。何がいいたいかと言うとインドに比べれば鹿の糞などあってないようなものだ。
国宝であるこの南大門は創建時の門は、平安時代に大風で倒壊した為、鎌倉時代に重源上人(ちょうげんしょうにん)が再建したもので門の高さは基壇上25.46mもある日本最大の山門となっている。門内には二体の仁王像が安置されている。
二体の仁王像。迫力がある。
金堂・大仏殿(こんどう・だいぶつでん) 国宝
南大門を抜けて直進して行くと重要文化財に指定されている中門があり中門を抜けると壮大なスケールの大仏殿で見えてくる。大仏殿手前にある八角灯籠も何気に国宝に指定されている。
国宝の八角灯籠
大仏殿は創建から2度にわたって焼失し現在の建物は江戸時代に再建された建物で、創建時は86mもあったのだが江戸時代に再建された際に柱とする材が調達できず57mとなった。現在でも世界最大級の木造建築とされているので創建時は更に壮大だったのだろう。
太っ腹な事に大仏殿内は撮影可能となっており、本尊であるあの有名な奈良の大仏(盧舎那仏)などを撮影する事が出来た。(三脚の使用は不可)
奈良の大仏、盧舎那仏は手塚治虫の漫画『火の鳥 鳳凰編』で茜丸が制作をする。火の鳥は東大寺に来る前に読むおすすめの漫画だ。東大寺の初代別当である良弁も我王の師匠として出てくる。手塚治虫の視点で奈良の大仏がどのようにして出来たのかが描かれていてとても面白い。学校の授業で習った事など一切憶えていないのに火の鳥の事は憶えている。俺には漫画の方が有効な教科書だった。子供の頃に見た火の鳥 鳳凰編のアニメは今でも良く憶えているがクライマックスの我王と茜丸の対決は今でもトラウマだ。
大仏殿には他の大仏なども撮影出来たのでかなり楽しかった。
この彫刻とかも半端ない!
東大寺は中学生の時に一度、訪れているはずだが殆ど記憶にない。大仏様の鼻の穴と同じ大きさと言われている大仏殿の柱をくぐったのだけは何となく記憶にある。子供達が沢山居たので今回はくぐるのをやめておいた。
大仏殿は夜、こんな感じらしい。この画像は大仏殿に飾ってあった写真を写真で撮った。
法華堂(ほっけどう)または三月堂 国宝
東大寺建築のなかで最も古く、寺伝では東大寺創建以前にあった金鍾寺(きんしょうじ)の遺構とされている。旧暦3月に法華会(ほっけえ)が行われるようになり法華堂または三月堂と呼ばれるようになった。
二月堂(にがつどう) 国宝
二月堂は1667年お水取りの最中に失火で焼失し、現在の建物は2年後に再建された建物で本尊は大観音(おおかんのん)、小観音(こがんのん)と呼ばれる2体の十一面観音像。どちらも何人も見ることが出来ない絶対秘仏となっている。
二月堂は館内も撮影出来るのがうれしい。三脚は不可との事。
二月堂を見終える頃には虫の音色が夕方の音色に変わっている。雨も強くなってきたので三月堂の向かいにある『東大寺絵馬堂茶屋』と言うところで抹茶アイスを食べながら雨宿りした。小雨と湿度でべちょべちょのTシャツをクーラーが乾かしてくれる。一旦、Tシャツが乾くと何と言う爽快感なのだろう、体力もリフレッシュされる気分になる。
雨も小雨に変わったので次の目的地『春日大社』を目指す。重たい体に鞭を打って重たい自転車を漕ぎ出す。
春日大社(かすがたいしゃ)
全国に約1000社ある春日神社の総本社である春日大社は、中臣氏(のちの藤原氏)の氏神を祀るために768年に創設された神社で旧称は春日神社。武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされ、鹿を神使としている。だから奈良には沢山の鹿がいるらしい。
見所は社頭の大杉で周囲8.7m、高さ25m、樹齢約800年~1000年とも言われている。また、五月初旬であれば花房が1m以上にも延び、砂にすれるという『砂ずりの藤』を見る事が出来る。砂ずりの藤の推定樹齢は何と700年以上。
所在地 奈良県奈良市春日野町160
世界遺産 春日大社 公式ホームページ
http://www.kasugataisha.or.jp/
東大寺が思ったよりも広く時間が掛かってしまった為に春日大社に向かった頃には既に夕方だった。夕方とは言え朝5時半から起きて行動している俺の体力は限界に近かった。本当は春日大社の後に世界遺産である『春日原始林』まで行きたかったのだがもう日が暮れてしまいそうだった。
東大寺から春日大社までの道のりは微妙な坂道となっており普段、俺が乗っているロードバイクであれば坂道とも感じさせないような緩い上り坂なのだがレンタルしたママチャリでは容赦なく俺の体力を奪い、降り続ける小雨が俺の気力を奪う。楽しい観光旅行に来ていたつもりだったのだがいつの間にか世界遺産ハンター強化合宿に変わっていた。
奈良に鹿が沢山居る理由となった春日大社だけあって鹿の口から水が出ている。これはなかなか珍しい。
多いいのは龍の口から水がでているパターンで若宮神社の近くでは下の写真のように龍の口から水が出ていた。
二ノ鳥居
二ノ鳥居辺りからいい雰囲気になってくる。俺はどちらかと言うと寺より神社の方が森や山の中に調和していて雰囲気が好き。
二ノ鳥居に居る狛犬に苔が生えていてとてもいい雰囲気になっている。
春日大社は何と言うか苔が素晴らしい。とてもいい雰囲気で落ち着く。
南門 重要文化財
南門は高さは12mもあり春日大社最大の門で、春日大社正面の楼門で入り口となっている。現在の建物は1382年に再建されたもの。
幣殿・舞殿(へいでん・ぶでん) 重要文化財
南門をくぐるとすぐ正面にある建物で東側2間が幣殿で西側3間が舞殿となっている。
中門・御廊(ちゅうもん・おろう) 重要文化財
中門は御本殿の直前にある楼門で約10mの高さがある。中門正面の唐破風(からはふう)は明治時代に取り付けられたもの。
社頭の大杉
周囲8.7m、高さ25m、樹齢約800年~1000年。700年前の『春日権現験記』には幼木の姿で描かれているそうだ。根元から斜めに延びているのは、槙柏(伊吹ともいう)で、春日の神様の託宣(古社記)により直会殿の屋根に穴をあけてまで木を生かしているそうだ。
砂ずりの藤
5月初旬頃に花房が1m以上にも延び、砂にすれるということからこの砂ずりの藤と呼ばれている。樹齢はなんと700年以上と言われている。奥に見える門は慶賀門(けいがもん)で重要文化財に指定されている。
三輪神社(みわじんじゃ)
春日大社のすぐ隣にある神社で子孫の繁栄、子供の無事成長をお守りくださる神様だそうだ。
若宮神社(わかみやじんじゃ)
上の写真は若宮神社。時間が無くて全部はまわれなかったけれども春日大社の周りに15社の神社がある。
春日大社は森の中にあり自然と調和していてとても雰囲気のいい神社だった。中でも石の上に生えている苔の雰囲気が廃墟チックでとても俺好みの雰囲気だった。
雨は相変わらず降り続けていいる、日も暮れかかってきたのでもうタイムアウトだ。世界遺産『春日原始林』は諦めて近鉄奈良駅に戻り、夕食を澄ませてホテルに帰る事にした。
今回の世界遺産ハントは小雨が降る中、サイクリングとハイキングを一日中していたようなもので相当ハードだった。
平城宮跡(へいぜいきゅう、へいじょうきゅう)
奈良時代の中心地で世界遺産『古都奈良の文化財』の中心的な場所だったところで、大内裏が1998年に考古遺跡としては日本で初めて世界遺産に登録された。
約1300年もの時を経て復原された太極殿から、だだっ広い平城宮跡を王の視点で眺めながら約1300年前の眺めを想像する事が出来る。
また、平城宮跡は敷地内を近鉄奈良線が通っており京都から奈良に行く際にも車内から見る事が出来る。
所在地 奈良県奈良市 佐紀町
平城宮跡 公式サイト
http://heijo-kyo.com/
奈良の世界遺産 二日目
京都・奈良の旅、二日目は朝6時半に起きて7時から朝のビュッフェを食べる。思いのほか食べ過ぎてしまった為に出発が8時となってしまった。俺が泊まっていた「奈良ロイヤルホテル」はすぐ近くに世界遺産である『平城宮跡』があり、ホテルをチェックアウトする前に散歩がてらに平城宮跡に行く事にした。幸い雨は降っていない。
奈良ロイヤルホテルでは一日500円で自転車の貸し出しいるので自転車を借りて平城宮跡を目指す。そこで借りた自転車は変速なしのママチャリで昨日借りたママチャリよりも更に重くギーコギーコと漕いで行くはめになった。自転車の調子さえ良ければ唐招提寺、薬師寺まで自転車で行きたいところだがこの自転車では無理だと判断して平城宮跡のみを自転車でまわる事にした。
朱雀門(すざくもん)
まず、着いたのは平城宮の正門・朱雀門。外国使節の送迎を行ったり、大勢の人達が集まって歌垣などを行ったり、正月には天皇がこの門まで出向き、新年のお祝いをすることもあったそうだ。
この朱雀門は1998年に復原されたもので門自体に特に価値は無い。道理で新しい訳だ。復原にあたっては法隆寺の中門や薬師寺の東塔などが参考にされた。
平城京歴史館
朱雀門を道なりに抜けて行くと平城京歴史館がある。
開館時間 9:00~16:30(入館は16:00まで)
休館日 月曜日(月曜日が祝日の場合は、翌日以降の平日) 年末年始(12月28日から1月4日)
料金は一般で500円
今回は時間が無かったので平城京歴史館はパスしてメインの建物、第一次大極殿を目指す事にした。
第一次大極殿
正面約44m、側面約20m、地面より高さ約27m。直径70cmの朱色の柱44本、屋根瓦約9万7000枚を使った平城宮最大の宮殿。
公式サイトよりPDF形式のパンフレットを見る事が出来る。
http://heijo-kyo.com/img-midokoro/daikokudenpf.pdf
朱雀門の真北約800m(結構遠いい)にあり、ここまで自転車に乗って来れる。平城宮跡はかなりだだっ広いので自転車で来て本当に良かった。
大極殿は建物の中に入る事が出来る、真新しい建物でこんなものが本当に世界遺産なのか?と疑っているとボランティアでガイドをしている方にお声をかけて頂きガイドしてもらえる事に。なんでも大極殿は2010年に復元されたもので建物自体には価値が無いとの事。世界遺産には1998年に考古遺跡としては日本で初めて登録され、建物は後から復原したそうだ。
これは天皇が即位される時に使われたもの。もちろんこれも復原されたもの。当時、太極殿は皇室の関係者しか入れない場所で我々市民は入れない場所だったそうだ。約1300年もの時を経て復原された太極殿から眺める平城宮跡の風景はまさに王の眺め。遠くに先ほど来た朱雀門が見える。
遠くの山々、だだっ広い平城宮跡を王の視点で眺めながら約1300年前の眺めを想像する。俺がイメージしたのは映画の三国志とかラストエンペラー等の中国映画、このだだっ広い平城宮跡に何万人もの人々がひれ伏す壮大な風景。
遠くに見える朱雀門より更に南の町より海外からの使者等がまっすぐ北に歩いてくる。初めてこの土地に来て、この平城宮を目指す人は目にはどのように写ったのだろうか?何キロも直線に続く長い道、どんな気持ちで歩いたのだろうか?火の鳥 鳳凰編の時代の日本の中心地で当時の日本を象徴する場所。世界遺産『古都奈良の文化財』の中心的存在でここから全て始まった。
来て良かった。何も無い遺跡後だけれどもこの眺めが見れて良かった。
実際はこんな感じだったらしい。
当時、奈良の町の中心はもちろんこの平城宮だったのだが都が移動したので残った東大寺や元興寺、興福寺等のお寺のある現在の近鉄奈良駅の辺りが栄えるようになり奈良の中心はお寺等が密集している地域へと移動して行ったらしい。
宮内省の跡(くないしょう)
天皇家の為に仕事する宮内省関係の役所跡だとみられている。
第二太極殿の跡
遺跡って雰囲気が漂っている。周辺はほのぼのとした田舎で遺跡にはカラスが羽を休めていた。
本当は時間があればこの近くにある古墳も見に行きたかったのだがこの後、薬師寺、唐招提寺、法隆寺、法起寺とまわりたかったので平城宮跡を後にして一旦ホテルに戻りチェックアウトした。
どうやら今日も時間に追われるハードな一日になりそうだ
薬師寺(やくしじ)
薬師寺は興福寺と並んで「法相宗(ほっそうしゅう)」の大本山で、680年に天武天皇により発願、697年に持統天皇によって本尊開眼、更に文武天皇が飛鳥の地において堂宇の完成。その後、710年の平城遷都により現在地に移された。
薬師寺がある西ノ京とは奈良時代、平安京を朱雀大路で東西に分けた西側全体を指していたが現在では薬師寺、唐招提寺の近辺のみの事を言うらしい。
薬師寺、一番の見所である国宝の東塔(とうとう)は奈良時代にさかのぼる唯一の建物で1300年の歴史がある。しかし、現在は解体修理中で平成31年の春に修理が完了する予定。また、『西遊記』で有名な玄奘三蔵の遺徳を称えられて1991年に建てられた玄奘三蔵院伽藍(げんじょうさんぞういんがらん)がある。
所在地 奈良県奈良市西ノ京町457
拝観時間は午前8時半(開門)~午後5時(閉門)
拝観料は一般500円
アクセスは近畿日本鉄道橿原線「西ノ京」駅下車すぐ
奈良薬師寺 公式サイト
http://www.nara-yakushiji.com/
平城宮跡から一旦ホテルに戻り、シャワーを浴びて奈良ロイヤルホテルをチェックアウト。ホテルのシャトルバスで近鉄奈良駅に向かい、重たい荷物を駅のコインロッカーに入れて近畿日本鉄道橿原線で薬師寺のある西ノ京駅へ向かう。
輿樂門
薬師寺の北側の門で西ノ京駅から来ると入り口にあたるが南門の方が正門。
大講堂(だいこうどう)
2003年に完成した白鳳様式の華麗な堂で境内でもっとも大きな建物。弥勒三尊像を祭り日本最古の仏足石も安置されている。
金堂(こんどう)
1528年の兵火によって焼失、現在の建物は1976年に再建されたもの。本尊は薬師如来像で向かって右側に日光菩薩、左側に月光菩薩が祭られている。
東塔(とうとう) 国宝
現在寺に残る薬師寺の建築物のうち、奈良時代にさかのぼる唯一の建物で1300年の歴史がある。総高は34.1メートル(相輪含む)。薬師寺一番の見所の一つだが現在は解体修理中で平成31年の春に修理が完了する予定。
ちなみに東塔の解体修理には22億円も掛かり、国宝なので三分の二は国から出るが残りは薬師寺だけで集めなければいけない。
今年の四月に日光へ行った際も感じたのだが現在解体修理中の建物が多いい、おそらく2020年のオリンピックに間に合わせようと思いこのタイミングで修理しているのではないかと思う。ちなみに世界遺産である姫路城も現在、修理中。
西塔(さいとう)
1981年に再建されたもので東塔に比べると屋根の傾斜が緩やかになっている。薬師寺の西塔は六重塔に見えなくも無いが三重塔。
中門
南門をくぐるとすぐにあるのがこの中門で、1984年に再建された門。
1991年には二体の武装した二天王像が復興復元され安置されている。
東院堂(とういんどう)
東院堂は境内の隅にひっそりとたたずんでいる鎌倉時代に再建された堂で、本尊の聖観音菩薩立像は白鳳時代の金銅像。本尊厨子を囲む四天王は檜材で造られている。
玄奘三蔵院伽藍(げんじょうさんぞういんがらん)
『西遊記』で有名な玄奘三蔵の遺徳を称えられて1991年に建てられた。
薬師寺は東大寺や興福寺の辺りと比べると観光客が少ない。場所的に奈良のメインからはずれているからなのか日曜日だからなのか?それともたまたまか?理由はわからないけれども人が少ないのでなんだか穴場っぽくて得した気分になった。そう言えば平城宮跡にもあまり人が居なかった。
薬師寺を一通りまわった後、すぐに唐招提寺へ徒歩で向かう。せっかくの世界遺産なのだが、あまりゆっくりしている時間はない。予定ではその後に法隆寺、法起寺とまわってそのまま京都の宿まで行かなければならない。かなりのハードスケジュールだ。
唐招提寺(とうしょうだいじ)
唐招提寺は鑑真が建立した、南都六宗の一つである律宗の総本山で本尊は廬舎那仏。金堂、講堂、鼓楼が国宝に指定されていて御影堂、東室、礼堂が重要文化財に指定されている。唐招提寺が保有する国宝は17件、重要文化財は200件を超え、天平文化を今日に伝えている。
唐招提寺、境内の北東にある鑑真和上の墓所は奇麗な苔の森などがあり、とても雰囲気が良い。
1688年に松尾芭蕉が唐招提寺を訪れた際に「若葉して御目の雫拭はばや」と言う句を読んだので旧開山堂の手前に松尾芭蕉の句碑がある。
所在地 奈良県奈良市五条町13-46
アクセスは西ノ京駅または薬師寺から歩いて10分くらい。
拝観料 600円
拝観時間 8:30〜17:00
唐招提寺 公式サイト
http://www.toshodaiji.jp/
鑑真和上が眠る唐招提寺
唐招提寺は薬師寺から歩いて10分くらいの場所にある。最寄り駅である西ノ京駅からも10分くらい。いよいよ8件ある世界遺産『古都奈良の文化財』の7件目だ。時間的に考えて8件目の『春日原始林』はどうやら諦めなければならない。この後、どうしても奈良にあるもう一つの世界遺産『法隆寺地域の仏教建造物』に行きたい。奈良の世界遺産巡りがこんなにもハードな旅になるとは思っていなかった。
そして今日も引き続き時間に追われながら世界遺産を巡る。
南大門
拝観の入り口はこの南大門。1960年に天平様式で再建されたもので切妻造りの建物。
金堂 唐招提寺の国宝
南大門を抜けると正面にすぐに国宝の金堂が現れる。8世紀後半の創建時の姿を残す代表的な建築物で堂内中央に本尊・盧舎那仏坐像、右に薬師如来立像、左に千手観音立像(いずれも国宝)が祭られている。
講堂 唐招提寺の国宝
金堂のすぐ奥にある講堂は、平城宮の東朝集殿(ひがしちょうしゅうでん)を移築・改造したもので国宝になっている。現在の姿は鎌倉時代の改造によるところが大きいと言われていて、天平時代の平城宮の面影をとどめる唯一の建築物としてとても貴重な存在となっている。
内部には本尊弥勒如来坐像(重要文化財、鎌倉時代)と、持国天、増長天立像(重要文化財、奈良時代)の他、多くの仏像が安置されている。
鼓桜(ころう) 唐招提寺の国宝
金堂と講堂の間に建つ、鎌倉時代(1240年)に建てられた2階建ての建物で名称は「鼓楼」だが現在は鑑真和上将来の仏舎利を奉安しているため、「舎利殿(しゃりでん)」とも呼ばれている。 堂内の厨子には、仏舎利を収めた鑑真和上請来の国宝、金亀舎利塔(きんきしゃりとう)が安置されている。
金亀舎利塔は唐招提寺の創建にかかわる重要な宝物で「如来舎利三千粒(にょらいしゃりさんぜんりゅう)」を収める「白瑠璃舎利壺(はくるりしゃりこ)」とそれを包む「方円彩糸花網(ほうえんさいしかもう)」それを収めるのが「金亀舎利塔(きんきしゃりとう)」。
鼓桜の奥の建物は礼堂(らいどう)と東室でいずれも重要文化財。
戒壇(かいだん)
金堂の西側にある戒壇は僧となるための授戒が行われる場所で鎌倉時代に造られたが建物は失われ石段のみが残っている。1980年に石段の上にインド・サンチーの古塔を模した宝塔が造られた。
御影堂(みえいどう) 唐招提寺の重要文化財
御影堂は金堂、講堂の奥、境内の北側にある江戸時代に造られた建物。国宝の鑑真和上坐像が奉安されている。
御影堂の辺りはひっそりとしていて古き良き日本的な雰囲気がとても良かった。
開山御廟(かいざんごびょう)
境内の北東にある鑑真和上の墓所でとても雰囲気が良い。
御影堂からこの開山御廟に来る途中の雰囲気はかなり良かった。
途中、とても奇麗な苔の森を抜けて池を渡るのだが唐招提寺の中で開山御廟へ来る道が一番のお気に入りとなった。
松尾芭蕉の句
1688年に松尾芭蕉が唐招提寺を訪れた際に下記の句を読んだので旧開山堂の手前に松尾芭蕉の句碑がある。
「若葉して御目の雫拭はばや」
何の事だかさっぱりわからなかったけれども、どうやら鑑真像を排した芭蕉はその渡海の苦難に心打たれた事を書き残しているらしい。うーむ、難しい。
唐招提寺を見終わる頃にはすでに小雨が降っていた。昨日に買ったビニール傘が役に立つ。時間は相変わらずおしているので西ノ京まで戻り、雨が強くならない事を祈りながら奈良最大の世界遺産『法隆寺地域の仏教建造物』を目指す事にした。普段、雨の心配などした事の無い俺だが、今回の旅行はなぜだか雨につきまとわれている。
やれやれだぜ
春日山原始林(かすがげんしりん)
春日山原始林は標高498m、面積約250haの広さで古来春日大社の神山であった為、ほぼ手を入れられる事が無く9世紀頃には禁伐令が出されるなど積極的に保護されてきたが、厳密な意味での原始林ではなく16世紀、豊臣秀吉による約1万本のスギ植栽や台風災害の早期回復の為、在来種により補植するなど、或る程度、人工の手が加えられてきた。常緑広葉樹(カシ、シイ類)を主とした蔓性植物(フジ・カギカズラ)、シダ植物(ウラジロ・イワヒメワラビ)などの800余種からなる多様な植物社会が形成されている。
今回の京都、奈良の旅では残念ながら時間が無くて行く事が出来なかった。次回、奈良に来る時にはハイキングを楽しむ為に春日山原始林に丸々一日を当てたいと思う。
アクセスは近鉄奈良駅から東へ約2kmに遊歩道入口(北)がある。そこから約10kmのハイキングが楽しめる。
春日山原始林/奈良県公式ホームページ
http://www.pref.nara.jp/25846.htm
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京都奈良の旅
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Comment
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奈良の者ですが間違い多過ぎますよ
東大寺をとうしょうだいじ
など
ご指摘、ありがとうございます。早速、修正致しました。
他にもおかしな場所はありましたでしょうか?