幸せのハードルは低い方が良い
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旅のコラム
幸せのハードルは低い方が良い
いつも水シャワーの安宿に泊まっており、たまにお湯のシャワーが出てとても幸せな気持ちになれるのと、いつも高級ホテルに泊まっており、たまにお湯の出が悪くて気分を害するのとどっちが幸せか?
俺は勿論、いつも高級ホテルに泊まれるほどお金に余裕がある方が幸せだと思う。
でも、幸せのハードルって言うのは簡単に上がってしまい一泊2万円のホテルで凄く感動していた人が一泊5万円のホテルに泊まればそりゃ5万円のホテルの方が良い訳で、次にまた一泊2万円のホテルに泊まった時に5万円のホテルと比べてしまったらあんまり喜べないかもしれない。また、高いホテルに泊まれば泊まるほど些細な事で不機嫌になりやすいように思える、例えばお湯の出が悪いとか。
自分の幸せのハードルを上げれば上げるだけ幸せを手に入れるのが大変になる。もちろんお金が有り余っている人であれば良いと思うけれども。
では幸せのハードルを下げるとどうなるか?
普段、安宿に泊まり水シャワーだったのがたまにお湯が出る宿に泊まった時、『やべぇ!お湯出るよ!お湯!』超気持ちいいぜ、やっぱりお湯だよね!となる。
お湯が出る=幸せ
めっちゃハードルが低いでしょ?一泊5万円のホテルに泊まるのは大変だけれどもお湯が出る安宿に泊まるのは大した事じゃない、簡単に幸せな気持ちになれる。
また、安宿に泊まっている場合、多少の不備があってもまぁ仕方ないかと考え、不機嫌になりにくい。(劣悪な環境でこりゃダメだ!って事も多いにありえるけど)
上昇志向は悪い事ではない
良い家に住みたい、良い物食いたい、良い車に乗りたい、良い服が欲しい、もっと良い暮らしがしたい、もっとお金が欲しい!だから頑張る!
俺は上昇志向が悪い事だとは思わない。時に自分を成長させる糧にもなるし、お金が沢山ある事は素晴らしい事だと思う。
でもどうだろう?素晴らしい家に住んでいないと幸せじゃない、良い物を食べていないと幸せじゃない、良い車に乗っていないと幸せじゃない、良い暮らしをしていないと幸せじゃない、お金を沢山持っていないと幸せじゃない…
幸せのハードルを上げてしまうと今ある現状に素直に感謝出来なくなってしまう。
例えば幸せのハードルの低いAさんは一泊1万円の宿に泊まってとても幸せな気持ちになれる。
でも、幸せのハードルの高いBさんは同じ一泊1万円のホテルに泊まってショボいなと思ってしまう。
どっちの方が幸せか?
俺は人生で大切なのはいい気持ちでいられる事だと思っている。
そりゃお金をいっぱい持っているのと持っていないのでは勿論、持っている方が良いけれど大切なのはお金を持っているか持っていないかよりもいかに自分がいい気持ちでいられるかに焦点を置いた方がより幸せになれるのではないかと思う。
ではどうすれば良いか?
それは幸せのハードルを下げるのが一番簡単で一番効果があると俺は思う。
むかし俺はFXで結構な額の借金をこしらえた事がある。サラリーマンをやっていたのでそれなりに収入はあったのだけれども2〜3年の間は借金の返済だけで酷く貧乏な生活だった。一生懸命会社に行っているにもかかわらず酷い貧乏生活、当然のように幸せじゃなかったし凄いストレスだった。
で、借金を全部返済し終わった後どうなったかと言うと今までの反動で浪費の嵐、テレビは大きい物が良い、炊飯ジャーは一番高いやつにしよう、電子レンジは見た目がダサいから見た目のいいオーブンレンジを買ってみたり(オーブン機能の使い方は未だにわからん)、タンスを新調しよう、などなど。
『俺の金は全部俺の金!ヒャッハー!』
でも、いっこうに幸せな気持ちにならない。買った時はそれなりの満足感があるのだけれどもそれでおしまい。もっと良い物を見つけてしまったらむしろ気分が悪くなる。
人によっては本当は60インチのテレビが欲しかったのだけれども高いから40インチのテレビにした場合、買った喜びよりも下手をしたら60インチを買えなかった不満の方が強く出るかもしれない。幸せのハードルに上限は無い、いつまで上を目指していたら人は幸せになれるのだろうか?
俺だったら現状に幸せを感じられる人生の方が楽しいと思う。
また、幸せのハードルを低く設定したからと言って志が低くなる訳ではない。例えば俺は現状に満足しているけれどもっとお金があっても良いよねとか今は凄く素敵な人生だけれどももっと素敵になってもいいと常々おもっているしその為にはどうすれば良いのか常々考えている。
100歳の金言
そんな時に友人がたまたま貸してくれた本がこれ
日野原先生の言葉が胸に突き刺さる。何と言っても100歳まで生きた人の実体験に基づくお話だからね。当時の俺の三倍は生きている人が言う事だから間違いないだろうと思って読んでいたのだけれども、その中で一番印象に残っている言葉が『幸せのハードルは低い方が良い』。
それまで俺は割と高めに幸せのハードルを設定していたので自分の現状について不満に思う事が多かったのだがなるべく幸せのハードルを低く設定するようにしたら不思議と幸せになっていった。
はっきり言って俺は今、五体満足でいられる事が凄く幸せで、日本人に生まれただけでとても幸せで、生きている事自体が幸せだ。もし、俺がフィリピンに生まれていたらそれなりにハードな人生だったと思う。
私は何にも持っていないと言う人、もしあなたの目を100億円で売って下さいと言われたら売りますか?
俺だったら売らないと即決出来る。100億円よりも自分の目の方が遥かに大切。つまり俺は生まれながらに100億円以上の価値のある物をすでに持っていると言う事になる。これって凄く幸せな事だと思う。
また、俺がフィリピンにいる時に日野原先生の『幸せのハードルは低い方が良い』と言う言葉をなんども思い出していた。フィリピンの人たちは劣悪な環境下でもとにかく楽しそうに見えた。あ〜この人たちは幸せのハードルを低く設定してとても人生を楽しんでいるんだなと思った。
命とは何か?
そしてもう一つ、日野原先生の言葉で心に刻み込んだ言葉はこれ。
命とは時間である。
俺も当時30歳を越えており、そろそろ命って無限じゃないよね、有限だよねと言う当たり前の事をリアルに実感しだしてきた年頃だったのでとても心に残った。
つまり大切なのは時間であって、その時間を有効に使う為にはいい気持ちでいる事が大切であり、その為には幸せのハードルを低く設定した方がより幸せに生きられると言う事。
100年以上の人生を生きた大先輩が言う言葉なので重みが違う。
時には贅沢をするべき
幸せのハードルは低い方が良い。でも、時には贅沢をするべき。例えば車が好きな人は車だけは贅沢な物がいいとか、住む家だけは良い家に住みたいとか自分のなかでこれだけはと言う物には惜しみなく使った方が俺は良いと思う。
俺の場合は旅と時間。
泊まる宿は安宿で良い、服はユニクロで良い、食事はうまいもの食いたいけれども庶民食でうまい物を探そう、贅沢な旅でなくて良いけれども時間だけは贅沢に使おう。
限りある命、せっかく親からもらった命(時間)なのだからどれだけ有意義に使えるのか試してみよう、その為に有り金を全部つぎ込んでもかまわない。
自分がやってみたいって思った事だけは多少、ハードルが上がってしまってもいいのかもしれない。
もし、あなたが今、幸せでないのであれば少しでもいいから自分の幸せのハードルを見直した方がいいのかもしれない。
そんな事をこのフィリピンの旅で考えていた。
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最終更新日:2015/08/25
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