古代都市テオティワカン | メキシコの世界遺産

2016年9月7日
雨期のメキシコで俺たちは、ずっと晴れの日が来るのを待っていた。メキシコに到着して約一週間が過ぎ、ようやく天気予報でもこの日なら大丈夫だろうと言う日がやってきた。
そう、俺たちはメキシコシティで一番楽しみにしていた遺跡、古代都市テオティワカンに向かったのだ!俺たちはどうしてもこの遺跡だけは青空をバックに撮影したかったのだ。気合いの入り方が違う。
そして、予定通りにこの日はスカっと壮快に晴れてくれた。
テオティワカンへの行き方
メキシコシティからテオティワカンへの行き方は、地下鉄5番線、メトロ・アウトブセス・デル・ノルテ(Autobuses del Norte)駅から徒歩すぐのバスターミナルへ行って8番カウンターでテオティワカン行きのチケットを購入。帰りのチケットを買う場所が良くわからないので往復で買っておいた方が良い。料金は往復で92ペソ(約500円)と激安。テオティワカンまでの所要時間は大体1時間ちょっと。
とりあえずピラミッドはスペイン語でピラミデスなのでピラミデス、ピラミデス言っておけば大体なんとかなる。
ちなみにテオティワカン遺跡への入場料はたったの65ペソ(約360円)と良心的、これだけの規模の遺跡でこの入場料は奇跡的。メキシコは入場料をぼったくった値段に設定していないので本当にありがたい、マジでエジプトはメキシコを見習うべき。
古代都市テオティワカン
Pre-Hispanic City of Teotihuacan
1987年、世界文化遺産に登録 / (i)(ii)(iii)(iv)(vi)

テオティワカン文明は、紀元前2世紀〜6世紀まで繁栄し、突如姿を消した謎の文明で、最盛期には、10万人〜20万人(この時代のローマを凌ぐ人口)もの人々が生活しており、下水網も完備されていた。当時、アメリカ大陸では最大規模の都市で、その終焉は謎に満ちている。この遺跡が造られた年代は色々な説があるがもっとも控えめに見たとしても紀元前だと考えられている。
この壮大な古代都市は、テオティワカン人の宇宙観、宗教観を表す極めて計画的に設計された都市で、総面積は20平方km(東京の港区並み)もあり、なんと街並に試行錯誤した後がないそうだ。つまりは、これだけの規模の大都市を一発で設計し、その通りに建設されたと言う事になる。テオティワカン文明は、同世代のローマをも凌ぐ、当時、世界有数の大都市を一発で設計する驚くべき建築技術を持っていた事になる。(同じ中央アメリカのモンテ・アルバンやマヤ遺跡などは何百年もかけて試行錯誤しながら街を発展させた跡が残っている)
年代から考えるとテオティワカン人は、紀元前1200年頃〜紀元前後にかけ栄えた、メソアメリカの母なる文明『オルメカ文明』を引き継いだとも考えられるので、もしかしたらオルメカ文明の知識的な遺産を受け継いでこの大都市を設計したのかもしれないと俺は考えている。

中米の古代文化の資料は、スペインの侵略者コルテスによってほぼ焼き払われてしまっているので、ド素人の俺でも好き勝手に色々と想像出来るから面白い。
ケツァルコアトルの神殿(ピラミッド)

テオティワカン遺跡に入場してまず、最初にあるのはこのケツァルコアトルの神殿。高さは22m、土台は7400平方m。

ケツァルコアトルとは羽毛の輪で首が囲まれたヘビの神様で、太古の昔に原始的な生活を送っていた先住民に文明をもたらしたと言われていて、オルメカ文明の頃から中央アメリカでテオティワカン文明、トルテカ文明、アステカ文明へと継承されている。また、マヤ文明ではククルカンと言う名で伝わっている。ようするにこの一体ではかなりメジャーな神様だ。また、伝承では建築技術をもたらしたのもケツァルコアトルだと言われている。

これはメキシコ国立人類学博物館で見たケツァルコアトル神殿のレプリカ。本物よりも色付けされているのでわかりやすい。人類学博物館で色々と予習をしていたのでテオティワカン遺跡は、あ、あれねとかなり知ったかぶり気分で遺跡を楽しむ事が出来た。

この神殿は、小山の中に一部が埋もれていた為に、中央アメリカでもっとも保存状態の良い記念碑と言われている。テオティオワカンは、生け贄を良しとしないケツァルコアトル信仰が強かった為に、後の文明であるトルテカ文明やアステカ文明より生け贄が少なかったと考えられている。(後の文明では生け贄を決める球技場があるがテオティオワカン遺跡には球技場が見当たらない)
伝説によると人身犠牲に反対するケツァルコアトルが生け贄を好む神、テスカトリポカと対立し、長い戦いの末に敗北し、トゥーラの都(トルテカの首都)を追い出されてしまった。その後、中央アメリカでは狂ったように生け贄が活発になり、アステカ文明の最盛期では一度に8万人もの人々が生け贄にされると言う狂った時代となった。
これはもしかしたらケツァルコアトル信仰が強かったテオティオワカン文明が滅ぼされ、好戦的なトルテカ文明の時代に移り変わったと言う事なのかもしれない。年代的に見ると、6世紀頃に突如姿を消したテオティオワカン人に取って代わって、トルテカ文明が7世紀頃~12世紀頃に栄えた事を考えるとありそうな話ではある。
俺の知識の大半は、神々の遺産からきている。マジでこの本を読みながら中南米を旅すると面白い。中米に居てもKindleで気軽に買えるのがありがたい。マジで便利な時代になったもんだ。
太陽のピラミッド
太陽のピラミッドなどともっともらしい名前で呼ばれているが実はこれ、テオティオワカン人が去って廃墟となったこの遺跡を発見したアステカ人が勝手に付けた名前であって、テオティオワカンの時代になんと呼ばれていたのかは未だに謎となっている。
ちなみにテオティワカンとはアステカ語で「神々の都市」という意味で、月のピラミッドや死者の道もアステカ人たちが勝手に命名したもの。

この太陽のピラミッドは世界三大ピラミッドのひとつと言うだけあって確かにデカい。高さはあまり無い物の土台の広さはエジプトにあるギザのピラミッドに劣らない。ちなみに世界三大ピラミッドのうちの2つはギザにあるピラミッドで、この太陽のピラミッドは三番目に大きいピラミッドだそうだ。ふーん。

メキシコシティの日本人宿、サンフェルナンド館で一緒だったユージ君と一緒に記念撮影、近くに来るとやっぱりデカくて迫力があるな。ちなみにグアテマラのアンティグアにいい留学先があるよと教えてくれたのも彼。

近くから写真を撮ると、デカ過ぎてもはや何が何だか良くわからない。なにこれ?壁?って感じ。
台座の大きさはギザのピラミッドに匹敵する巨大さなのでかなり迫力はあるが、一個、一個の巨石を積み上げたギザのピラミッドと比べてしまうとどうしても見劣りしてしまう。やはりエジプトのピラミッドはキングオブピラミッドだった。あれはマジですごい。

この太陽のピラミッドの素晴らしいところは登れる事。下から見上げると上の方に居る人たちは豆粒みたいな大きさで、もはやちょっとした小山だ。メキシコシティは何気に標高2000mを越える高地にあり、酸素はなんと平地の2/3しか無い。先ほど登ったケツァルコアトルの神殿でも結構疲れたのに、この大きな太陽のピラミッドを登って更に、月のピラミッドも登るのかと思うと気が重くなったが、実際に登ってみるとそこまで大変では無かった。

底辺222×225m、高さ65m。壮観な眺めなのだが、やはり位置的に月のピラミッドの方が目の前にある広場のデカさから言って重要そうな建物に見える。建造物としては太陽のピラミッドの方が月のピラミッドよりも大きいが月のピラミッドよりも低い位置に建てられている為に、頂上の高さは同じになっている。
これはエジプトにあるギザのピラミッドも同様で、ギザの大ピラミッドの方がカフラー王のピラミッドよりも高い建造物だが頂上の高さは同じになっている。これは偶然の一致なのであろうか?それとも遠く離れたエジプトのピラミッドとテオティワカンのピラミッドに何か関連があるのだろうか?超気になるッ!そしてワクワクしてしまう。
ちなみにエジプトのピラミッドは約4500年前に造られたと言うのが定説で、テオティワカンのピラミッドが造られた年代は不明で、紀元前に造られたと考えられている。一部の学者は地質学から見て、紀元前4000年頃に造られたと主張しており、もし本当にそうだとするとエジプトのピラミッドよりも古いと言う事になる。うーん、謎が謎を呼ぶミステリー!これこそ男のロマンだぜ。
ギザの三大ピラミッド | 世界遺産『メンフィスとその墓地遺跡-ギーザからダハシュールまでのピラミッド地帯』
死者の道
テオティワカンの南北3kmに伸びた死者の道は月のピラミッドから始まり、太陽のピラミッド、ケツァルコアトルの神殿が配置されている。

月のピラミッドの上から撮影した死者の道。実はこれは道ではなく、水路だったと言う説がある。一説によると、この死者の道に水を張って、地震の予測などをしたのではないかと考えられている。
もしこれが本当に水路だったとしたらなんと言う壮大な眺めになるだろうか?まさにSF映画に出てくる超古代文明そのもので、想像しただけでゾクゾクしてしまう。

この死者の道は、意図的に真北から15度30分傾けて設計されている。なぜ、そのように設計したのかは未だに謎だが、有力な説としてはテオティワカン遺跡自体が太陽系を縮小した物だと言う説だ。この説によるとケツァルコアトル神殿の中心を太陽だとすると死者の道に沿って建つ建造物は正確に惑星や小惑星の軌道を反映していると言う(太陽のピラミッドは土星で月のピラミッドは天王星)。海王星と冥王星はまだ発見されていないが数キロほど北側にあると考えられている。この考え方が正しかったとすると、とてつもなく高度な宇宙の知識をこの古代の人々は持っていたと言う事になる。
これらの知識も神々の指紋で読んだものだが、こう言う事を考えただけでワクワク出来てしまう、中南米の遺跡はマジで面白い。

死者の道からまっすぐ先にそびえる月のピラミッド。両脇に並ぶ建物を見ると確かに水路であった可能性が伺える。
月のピラミッド

やはり、この死者の道から見ても、位置からしても、ピラミッドの上から見た風景から考えてもこの遺跡の中でもっとも重要な建物だったのではないかと俺は考えている。この遺跡の中で一番景色がいいのはやはり月のピラミッドの上から見た風景だった。

月のピラミッドの大きさは4辺150m、高さ47m
メキシコの乾いた空気と突き抜けるような美しい青い空。本当に天気の日を選んで良かった!

月のピラミッドにて

最後にテオティワカンの博物館に描かれていた壁画。翡翠のマスクを付けた人やらオルメカヘッドまである。

恐らく中米の文化を表した壁画だと思うがスペイン語がさっぱりな俺たちには何となくでも歴史が感じられるのでありがたい。こう言うのを見ると、古代遺跡に描かれた壁画が歴史を探究するのにいかに重要かと言う事の鱗片がわかるような気がした。
テオティワカン遺跡、マジで最高に面白かった!今まで100件以上の世界遺産を見てきたけれども確実にベストテン、いやベスト5にはランクインする面白さだった。(俺が中南米の遺跡好きだからと言うのもあるけれど)
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テオティワカン文明、トルテカ文明 | メキシコ国立人類学博物館
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