『サドゥ』インドで出会った自由に生きる仙人 | インド旅行記18
インドにサドゥと言われる謎に満ちた苦行者達が沢山いる。サドゥの強烈な存在感に惹かれ話しかけても平気そうなサドゥの人たちの写真を撮らせてもらった。
上の写真はバラナシのガート(沐浴場)で撮影させてもらったサドゥによるヨガ。
サドゥとは
サドゥとはインドの苦行者で主に昼間っからチャイをすすり、大麻を吸いながらダラダラとしている様に見える人たちだ。本格的なサドゥはヨギ(ヨーガ)を学んだり何十年も片手を上に上げ続ける修行や何十年も喋らない修行と言った苦行の修行を行っている。
俺が見た限りでは大半の人はプラプラとその日暮らしを楽しんでいるように見えた。
聖地ハルドワールで出会ったサドゥ。朝から大麻を吸って仲間とおしゃべりを楽しんでいた。チャイをごちそうする事によって撮影させてもらった。彼に普段は何をしているのか聞いてみたところ『特に何もしていない』だそうだ。
こちらもハルドワールで出会ったサドゥ?、すごく良い表情をしている。写真を撮らせてもらっただけなのでサドゥかどうかは不明。
聖地リシュケシュのガンジス川で生活を営むサドゥ達。リシュケシュではガンジス川の河原や森で野宿生活をしているサドゥ達が沢山いた。毎日キャンプ生活ってのも楽しそうだ。もしかしたら難民生活とも言うのかも?
聖地バラナシのガートで見かけたサドゥ。彼はチャイ屋をやっているのかそれとも勝手にチャイを飲んじゃっているのか?ハワイのビーチには金髪でビキニのおねいさんが似合うようにガンジス川の河原にはドレッドのサドゥが絵になる。
バラナシで出会ったサドゥ。写真を撮らせてくれと頼むと快くポーズを決めてくれた雰囲気のあるサドゥ。額に書かれた横の三本線はシヴァ派の意味でビシュヌ派は縦線なのだとか。ちなみにこの後、50Rs(約80円位)請求された。
バラナシのガートで見かけたサドゥ。全身に灰を塗っているのは大抵、ナガサドゥらしい。(ナガサドゥとは最大宗派で最古の組織)
このページのトップでヨガを披露してくれたサドゥで沢山の写真を撮らせてくれた。彼もおそらく全身に灰を塗っているでナガサドゥだ。
ヨガを披露してくれた後に食事をごちそうしてくれた。何でもこの植物は栄養満点でサドゥの主食らしい。塩で揉んで食ってみろと差し出された。かなり不安だったがせっかく食べさせてくれると言うので一口だけ頂いた。味は正直、あまり美味しく無いが食べられない事は無い。貴重な体験が出来たと満足したのでお礼を言って立ち去ろうとすると先ほどヨギ(ヨガ)を披露してくれたボス格のサドゥに500Rsほど請求された。
1分か2分のヨガで500Rs(約800円)はいくら何でも法外だ。取りあえず金が無いと言って100Rsで勘弁してくれと頼むが全く請け合ってくれない。かといって500Rs払う気にはなれなかったので立ち去ろうとすると取り巻きのサドゥが追いかけてきて100Rsよこせと言う。サドゥはプライドが高いのでまけてくれたりしないのだがかといって収入が無いのも困るので取り巻きが追いかけてくると言う事か、なるほどうまく出来ている。
サドゥたちはこのようにして日銭を稼ぎながら旅をしているようだ。また、アシュラム(日本で言えば寺みたいな物かな?)に行くと食事にありつけるらしいので各地を転々としながら自由気侭な仙人暮らしをしているようだ。
彼らは究極の自由人で旅人だ。彼らの行き方に物凄く憧れるが何も持たない生活は現代人の俺にはハードルが高すぎる。
今回のインドの旅の記事一覧は
インド旅行記シリーズ一覧
究極の自由を体現するインドの仙人『サドゥ―小さなシヴァたち』
インドに行くと嫌でもサドゥと言われる謎に満ちた苦行者達が目につく。昼間っからチャイをすすり、大麻を吸いながらダラダラとしている様に見える人たちだ。厳格なタイやラオスの修行僧とは明らかに違う雰囲気で自由で砕けた感じがする。身なりや格好も独特で白い灰を体に塗った全裸の人から僧侶の様な袈裟を来ている者まで。髪の毛はロン毛でドレッド。人によってはヒゲまでドレッドだ。
彼らの生活がどのようなものなのか?
どのようにして生活をしているのか?
サドゥの生活に興味があってインドから帰国後、柴田 徹之 (著)『サドゥ―小さなシヴァたち』と言う本を読んだ。
サドゥ 小さなシヴァたち
インドにサドゥと呼ばれる人々がいる。その姿は古代中国に生きた仙人にうりふたつ。山奥の庵でヨーガを修行し、卓越した力で物事を自由自在にあやつる「生きる天才たち」として名を馳せるが、その実態はいまだ謎に包まれている(第1章 サドゥの肖像より)。インド大陸に通い続けて17年。気鋭の写真家が迫る、インドの放浪修行者、サドゥの謎と魅力に満ちた肖像の数々!
インド大陸(ネパールを含む)に通い続けて17年の写真家で放浪民、先住民に限りない親近感を感じていると言う柴田 徹之さんが書いた日本で最初の『サドゥ』に関する本。
究極の自由人サドゥ
サドゥの人生とは放浪で基本的には家も仕事も家族も持たない。片手で担げるほどの荷物しか持たずに季節毎にインド全土を旅してまわる。
この原始的で自由な旅のスタイルには憧れを抱く。しかし、このスタイルに辿り着くまでに全てを捨てなければならない。実際にサドゥになる時には一度、死んでサドゥとして生まれ変わるらしい。現代人の俺にはとても真似出来そうに無い。
“究極の自由を求め、放浪しながらアラスカを目指す映画『イントゥ・ザ・ワイルド』“を見た時も思ったのだが究極の自由を求めるには色々な物を捨てねばならない。究極の自由は憧れるけれども自分には、そこまでの覚悟が持てない。
現代に生きる仙人サドゥ
この本は本当に興味深く面白かった。インドの仙人、サドゥがどのような人生をすごしているのか?どのようなサドゥが居るのか?自然と文明のはざまに位置するサドゥの鮮烈な生きざまを97点の写真とテキストで描かれている。
右手を上げたまま数十年と言う苦行を続けるサドゥや数十年間しゃべらないと言う苦行を続けるサドゥ。「小さなシヴァ神」と言われ、社会からの完全なるアウトサイダーとして完全な自由を全うし、ヨーガやタントラなどの神秘思想を牽引してきた仙人サドゥ。
この本は自分がインドを旅していた時に出会ったサドゥ達の事を思い出しながら読んだ。インドには色々なサドゥたちが居た。白い灰を塗って全裸な本格的なサドゥから旅人にチャイをたかってダラダラとしている親しみやすいサドゥまで。彼らは本当に自由人で己のやりたい様に振る舞っている。一体、彼らはどうやって生活しているのだ?そう言った疑問を調べるにしても日本で得られるサドゥの情報が少なすぎる。そんな中、『サドゥ―小さなシヴァたち』の著者の柴田徹之さんの本やサイトはかなりサドゥ文化について書かれていてとても面白かった。
次回、インドに行く時にはインドの宗教や歴史とともに、もっとサドゥについて知りたいと思った。彼らの自由な行き方は全ての旅人の憧れであり、一般の人では辿り着けない境地であると思った。そう考えると彼らはまさに仙人。旅と自由を極めた人たちだ。
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