スィゲの目から見たバリ島の旅 | Young Age +
公開日:
インドネシア
2001年、俺とスィゲはバリ島で旅をした。
ボロブドゥール遺跡を最後にこの旅の元となった手日記はプッツリと終わった。
バリ島以降は全て俺の拙い記憶のみを元に書いた。
ヤングエイジの最後にこの旅の目撃者で盟友でもあるスィゲに頼み込んで、彼の目から見たこの旅を書いてもらった。
このヤングエイジ編は随分と長かった。(途中、更新をサボっていたから連載を初めて一年以上)
最低でも薄い文庫本、一冊程度の文字数は書いたと思う。
だからこのヤングエイジの最後に文庫本とかの最後によくある『解説』みたいな感じで、この旅の生き証人でもあるスィゲになんでも良いからバリの思い出を書いてもらいたかった。
ここから先は盟友のスィゲに書いてもらった文章だ。
それでは、始まり、始まり〜
スィゲの目から見たバリ島の旅
2001年7月30日、バリ島へ
世界遺産ハンターことマサトとは、元は高校の友人の友人の友人にあたる男だった。
振り返って考えると不思議な縁であり、当時は何度か複数で飲んだりしたくらいだったけれども、何かウマが合うヤツ、という感じだった。
2001年初夏のある日、この男から「今からお前んちの方に行くから出て来てくれ」と言われ、近くの居酒屋で会う事になった。この時が、初めて二人で会ったという事になる。
この男は、席に着くや否やビールを注文する前に「俺はこれからアジアに繰り出すんだ!」と意気揚々と語り出した。最初は俺も「おー、いーじゃん!」くらいのリアクションをかえしながら聞いていたが、マサトはまるで子供が親にねだり続けてやっと欲しかった玩具を買って貰いにおもちゃ屋に来た状況の様な、やっと夢が適うみたいなテンションで延々と語り続けた。大学卒業を前にして日々に刺激が感じられなくなっていた自分にはその非日常っぽさが新鮮に思えたが、この時は旅路でおもろい事があったら連絡してくれよと、当時は既に普及していたフリーメールを交換して別れた。
それから程なくマサトが海外へ出てから最初のメールを貰った時に、案の定、無性にいても立ってもいられなくなり、すぐにでも飛び出したくて堪らなくなってしまっていた。
俺にとっての海外は、この時点では12歳のオアフ島以来だった。
2回目のメールを貰った時にはもはや行くしかないの一択になり、パスポートの申請の仕方とどこで合流できるかを確認し、とにかくバリ島で落ち合おうと強引に約束をしていた。
そうと決まれば即行でパスポートを取って旅券の手配をし、「じゃ、現地で!」と返して未だ見ぬバリ島へ思いを膨らませまくった。
バリ島へついてマサトと合流し、クタ・レギャンビーチ沿いにとってあった宿のそばで初のバリ飯であるナシゴレンやミーゴレンやサテなんかをたらふく食ったが、これがどれもやけに美味い。そこらのありきたりのチャーハンと焼きそば、焼き鳥ではなかった。
この時点ではマサトはまだ体調が完全ではないとの事で、昼や夜は時間を合わせて一緒にメシを食いに出かけ、それ以外はひたすら辺りをうろつき回った。
片っ端から新しいフルーツや屋台メシを食ったり、レギャンビーチ特有のやけに高い波乗りに挑戦したり逆バンジー?なる物に乗ってみたり、沿岸のSHOPで買い物などをしまくるなど、非・日常を満喫しまくった。
そのままそこにいても充分楽しかったが、3日目くらいにマサトがウブドに行こうというので、ライトバンみたいな車で移動する事になった。
そうしてやって来たウブドは、どこからということもなく民族楽器の残響音が聞こえて脳の奥が心地よく振動する様な、何だか神聖な村といった雰囲気だった。
着いたその日にモンキー・フォレストへ向かい、マサトがネズミみたいな恰好をした猿に背中を噛まれて激怒して追い掛け回していたが、こっちはバナナを大量に振る舞って歓迎して貰った。
モンキーフォレストからの帰り道、現地の20歳くらいのブディーと名乗る男が日本語で「日本語の勉強をしています。良かったら友達になって下さい」と声を掛けて来た。
なんでも、観光客と積極的に近づく事で日本語を極めて、趣味と実益を兼ねたナンパガイドを目指しているのだという。
(俺は翌年にマサトを倣ってアジアへ一人旅に出たのだが、この男は本当に凄かった。
まずお忍びでウブドへ向かい、ブディーを探して見つけたと思ったら何と、日本人の嫁さんと立派な家とバイクとパソコンと諸々を全部揃えていやがった!)
このブディーと出会ってからというもの、朝10時に迎えに来てはそのまま翌日の昼までブッ通しで遊んだりするくらい、とにかく寝る間も惜しんで非・日常を満喫するべく動き回っていたが、マサトは俺の目からはこの頃には既に旅慣れた感じで、ブディーと連れ立って遊ぶ時もあれば部屋で本を読んだり散歩したりとマイペースにまったりと過ごしていた様子で、旅先で読書など考えもつかなかった俺からは、当時にしてだいぶ旅の上級者に見えたものだった。
ライスフィールドや遺跡などの観光、民族楽器の演奏を聴きに行ったりブディーの従兄と会ったり、サヌールまで出て遊び回ったりクワガタを探そうとして現地の人に首を傾げられたり、当然いろいろやらかしたりでブッ放すだけぶっ放した楽しい時間もあっという間に過ぎ、ブディーとは再会を誓ってウブドを跡にした。
濃い時間を過ごしている間はドーパミンなのかグッドバイブレーションなのかは分からないが、どのシーンでも瞬間瞬間が深く刻まれる様な感覚に満ち溢れ、マサトとはいろいろと語り込んだりするなかで、かなり近い部分を持っている人間の様に感じられた。
このタイミングでバリ島に来ていなくても遅かれ早かれそうなっていたのだろうけど、後から考えればこの度を境に、いろんな体験や考えを分かち合える親友の一人として定着したように思う。
マサトと別れて帰路へ着く際、計算をすると10日足らずでトータル26万円の出費だった事を把握し、1m50㎝級の超巨大ディジュリドゥ2本を含む26㎏分の手土産を持ち、1日26時間ブディーと遊んだ記憶にどっぷり浸ってこの26は一体何なんだ?と妙に気になりつつも、次はどこへ旅しようかな~なんて考えながら、幸せな気分で帰りましたとさ。
めでたしめでたし!
byスィゲ
世界遺産ハンターヤングエイジ 完
公開日:
:
最終更新日:2018/11/30
インドネシア
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