チョルーラの巨大ピラミッド
公開日:
メキシコ
チョルーラの巨大ピラミッド
12月9日
プエブラに来たからには、せっかくなのでチョルーラの巨大ピラミッドに寄りたい。チョルーラはプエブラ郊外にあるメキシコ最古の都市で、25世紀以上の歴史を持っている。
25世紀ってすごくね?
プエブラからチョルーラへの行き方は、ADOのバスターミナルから出ているバスに乗るか旧市街でツアーに参加するのが一般的だそうだが、俺たちはめんどくさかったのでホテルの人にお願いしてウーバーを呼んでもらった。料金はホテルからチョルーラのピラミッドまで93ペソ(500円ちょい)。
チョルーラの町にある、巨大ピラミッドは高さ約65m、底辺が約400mもあり、テオティワカンの太陽のピラミッド(高さ65 m、底辺222)を凌ぎ、メキシコ最大のピラミッドとなっている。ちなみに世界最大のピラミッドはエジプトにあるクフ王のピラミッドで、現在高さは138.74m(元146.59m)、底辺230.37m。
ただ、現在はほぼ土に埋まっており、ごく一部しか発掘されていないので小山にしか見えない。チョルーラは、1519年にスペインの征服者エルナン・コルテスが徹底的に破壊しつくした最初の街で、元々はピラミッドの頂上部分にあったケツァルコアトルの神殿を取り壊し、ロス・レメディオス教会を建設した。
チョルーラの街から見ると丘の上に教会が建っているようにしか見えないが、実は、巨大なピラミッドの上に教会が建っている。
1570年代建造のヌエストラ・セニョーラ・デ・ロス・レメディオス教会(救済の聖母教会と言う意味)
ケツァルコアトル神殿をぶっ壊して、変わりにドガーンと教会を建てると言うのは当時のスペイン人のやり口。徹底的に原住民の信仰をぶっ壊してキリスト教を布教させる。メキシコシティも元々はアステカ文明が栄えていた場所で、徹底的にぶっ壊してその上に教会を建てている。自分たちでアステカ神殿を埋めておいて、500年くらい経って教会の改修工事をしていたらなんと教会の下にアステカ文明の神殿が埋まっている!世紀の大発見だ!なんてやっていたけれども、そりゃ無いぜ。
ま、500年も経てば仕方が無いけれども。
現代人の価値観からするとスペイン人は極悪非道だ!みたいな感じだけれども当時の世界の常識から考えれば当たり前のように行われていたんだろうな。トルテカ文明やアステカ文明だって周りの文明を侵略した挙げ句に捕虜を生け贄にしていたのだから弱肉強食と言う事でしかたがないのかもしれない。俺たちは現代の日本に生まれて本当に良かった、こんなおっかない時代に生まれていたらマジで大変だったろうな。
ロス・レメディオス教会が建っているピラミッドの頂上から見下ろすチョルーラの街並はなかなかのもの。
メキシコ最大のピラミッドと言っても本体は、少ししか発掘されていないので正直言ってあまり見応えは無い。しかし、この大ピラミッドの歴史は紀元前300年以前から建設が始まったと推測されており、7度の増築作業によって巨大なピラミッドとなった。この街は、テオティワカン時代から栄えており、テオティワカン消滅後、トルテカ文明の影響下に入り、後にアステカ帝国の衛星都市として栄えた。
俺たちはメキシコシティでテオティワカン遺跡、トルテカ文明のソチカルコ遺跡、トゥーラ遺跡、アステカ文明のテンプロ・マヨール、トラテロルコ三文化広場とメキシコ中央高原の歴史の跡を見て回ってきているので感慨深いものがある。
チョルーラの大ピラミッドの一部、テオティワカン風の立派な造りだが、真新しくて造りました感が強い。
トゥーラ遺跡に残る伝説によるとケツァルコアトル(羽根毛の蛇)は、戦闘的で生贄を要求する神テスカトリポカに追放された際に、いつの日にか戻って来ると約束をしていた為に、1519年にやって来たスペイン軍をケツァルコアトルの再来だと信じて、チョルーラの指導者達は歓迎し、迎え入れてしまった。しかし、侵略が目的のスペイン兵たちは、無抵抗の住民たちを殺戮し占拠した。その後、ピラミッドの上に建っていたケツァルコアトルの神殿を破壊し、その上にロス・レメディオス教会を建設した。また、原住民の信仰を徹底的に破壊し、キリスト教布教の為に周囲に沢山のキリスト教の教会を建設した。今では365件ものキリスト教教会がある。
このピラミッド最大の見所は、総距離は8kmにもおよぶ内部の通路で、その内の700mを実際に入って見学出来ると言う事。ただ、まぁこのような道を歩くだけなのだけれども、ピラミッド内部を探検出来ると言うのはとても貴重な体験だ。俺は、狭くて圧迫感のある場所があまり好きではないのだけれどもこのピラミッドの通路は許容範囲内だった。
チョルーラ内部通路と遺跡へ共通入場料は65ペソ。いつものように国際学生証を出すが、メキシコの学生証以外はダメだと言われて使えなかった。今まで全部無料だったのにチョルーラでは通用しなかった。
チョルーラからプエブラまではたまたま通りかかったプエブラ行きの乗り合いタクシー(ミニバン)を捕まえて、帰る事が出来た。料金はたったの5ペソ。チョルーラを満喫した後は、プエブラへ向かい旧市街を散策した。
チョルーラのピラミッドだけでは少し物足りないし、プエブラ旧市街だけでも物足りない。やはり、プエブラに行くからにはチョルーラの巨大ピラミッドとプエブラ旧市街をセットにしてまわるのが良いと思う。
プエブラで泊まった宿 Pensión Aguayo
Pensión Aguayo
一泊、415ペソでWi-Fi、ホットシャワーと問題なく使えたけれども立地はイマイチ。昼間は平気そうだが夜は危険。ただ、スタッフの人はとても感じが良い。チョルーラに行く際も、バスターミナルに行く際も、ウーバーを呼んでくれた。タクシー前提で行動する分には問題ない。また、昼間なら旧市街まで歩いて行ける。
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